ケアプランとか無い昭和


昭和の看取りの漫画

「うちのじいちゃん」という言葉を入れたケアプランを、剥いだカレンダーの裏に書いて貼りたい。

朝、起きたら、「おじいちゃん、死んだからね!」って言われた。 食道癌で、食道全部取って、2年位、自宅で療養してて、自宅で看取った。 葬儀も、自宅だったから大変だった! ガキだったから、よく覚えてないけど、初七日とか、四十九日も自宅でやってた。

わかります、その感覚。葬儀も近所の人から手伝ってもらって… 今は何でもスマートになりましたね。

東京の下町だから、町内会の男性が受付、婦人会が精進落しの接待でした。 私も、成人してから、時々手伝いました。 介護と同じで、慣れてるプロに任せる方が楽です。

私のじぃちゃんも…私の父方のじぃちゃん(明治33年生まれ)も、昭和のうちに亡くなりました(限りなく86歳に近い85歳)

なので、まだまだ家政婦と養老院の時代で…

このじぃちゃん、倒れてから10年ぐらいは自宅療養し、ばぁちゃん(明治40年生まれ)と離れに本家の住んでいたので、典型的な老老介護で…なので、寝たきりのじぃちゃんしか知らない。しかも、私は外孫

最後の半年ぐらいだったのかな?
それまで、なんとかトイレへ行けていたじぃちゃんもオムツに…当時は布オムツ

どうも、排便のタイミングがズレていたらしく、便失してからオムツ交換してトイレでふんばる→出ないので諦めて部屋へ戻る→便失…の繰返しだったらしく、会うたびにばぁちゃんが愚痴るし、離れじゅうが便臭だし………

そんなのを見たり聞いたりしていたので、35歳になるまで介護施設で働こうとは思わなかったほどだし…なのに、成り行きで介護職になってるし…

そんなじぃちゃんも最後は病院だったんですよね………

家のトイレでコケて大腿骨骨頭骨折して入院、骨にドリルで穴を開けて重りを吊るす直達牽引の後に手術→術後に肺炎→そのまま天へ…

という、介護の教科書にでも載っていそうな典型的な状態でした…

さすがに入院中は、途中から家政婦さんを付けたけど…

在宅中は、市の貸しおむつを利用した以外は、ばぁちゃんのみの手で介護していましたねぇ…
もちろん、ケアプランなんぞ無く…

そんな措置制度の頃の昭和の介護でした…

貴重なお話、ありがとうございます。


そうでした!

昔、病院には家政婦さんが付いてましたね。

付き添いが必要でしたもんね。

良い家政婦とそうでない家政婦、レベルの差が大きかった感じがします。なんとなく子供にもわかりましたよ、その雰囲気(*’▽’)

私が介護職員になった時代も、まだ病院におられましたね。事前訪問でお邪魔した時、同室の家政婦から状況を聞いたこともありました。(そのケースの方の担当ではないのに、一方的に話してくださいました( ;∀;))

お節介焼き…といえばそうなのですが、プライバシーとか厳しくない寛容の時代だったと思います。

今はどうなのでしょうか…見かけませんね…